終焉
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私の“最後の試合”──11月29日に込めた決意
11月29日土曜日。中学3年生と指導者が対戦する毎年恒例の“引退試合”に参加しました。
今年は私にとって、特別な意味を持つ日でもありました。というのも、この試合を 人生最後の試合 と決めていたからです。中学校の外部指導者として関わるのは今年限りにしようと心に決めていたこと、そして年齢も50歳を迎え、体を動かすたびにあちこちが悲鳴を上げるようになってきたことが理由です。
実際、試合中には「靱帯をやったか?」と思うほどの膝の痛みに襲われ、プレーを続けるのもやっとでした。それでもこうして文章を書けているということは、大事には至らなかったということで少し安心しています。
病弱だった少年時代と、父の背中
私がサッカーを始めたのは幼少期。父や兄の影響が大きく、特に父は地元のスポーツ少年団の指導者をしていたため、週末はいつもグラウンドにいました。
しかし、私が選手として活躍できたのは小学生まで。病弱だった私は、中学生のある日、主治医からサッカーの“ドクターストップ”を告げられました。周りの同級生との差を自分でも感じていたため、「やっぱりな」という思いと、どうしようもない悔しさが入り混じったのを覚えています。
父は平日は会社員、週末は指導者としてグラウンドに立ち、家族旅行の思い出はほとんどありません。子どもながらに拗ねた時期もあり、大人になったら色々な場所に旅したいと心に決めたのもこの頃です。
そんな私が指導者を始めたきっかけは、大人になってからのある再会でした。小学生の頃にお世話になった恩師から「指導者になれ」と強く言われ、その言葉に背中を押されるように気づけば父と同じ道を歩き始めていました。
恩送りとしての15年、役目を終えて
「恩送り」という言葉がありますが、私は“自分が受けた恩を、次の世代へ渡していくこと”だと解釈しています。あの頃の私を導いてくれた恩師や、ずっと背中を見せ続けてくれた父。彼らから受けた恩を、少しでも子どもたちに返したい。そんな思いで始めた指導者生活も、気がつけば15年近くになりました。
この15年で、泣いた子、悔しがった子、成長した子、多くの姿を見てきました。自分の役目は果たせたのか、と問われれば、胸を張って「果たした」と言えるような気がします。だからこそ、これからはもっと自分のために時間を使ってもいいのかもしれない。そんな気持ちになれたのが、今回の“最後の試合”でした。もう若い頃のようには動けませんが、それでもボールを追う時間はとても楽しく、私のサッカー人生を締めくくるにふさわしい一日でした。
【編集後記】
最後のどフリーを宇宙に向けて打ったのは一生後悔しそうです(^^♪