51歳になって考える「時間」と「責任」と「余白」
51歳になった
正直に言えば、20代の頃に思い描いていた51歳とは少し違う。もっと“完成形”の自分を想像していた。でも実際は、まだ迷い、まだ挑戦し、まだ学んでいる。今日は、51歳という節目で感じたことを三つに整理してみたい。
目次
年齢は「増える」のではなく「積み上がる」
誕生日を迎えると「また一つ歳を取った」と言うけれど、本当にそうだろうか。
税務の世界で言えば、単年度の損益よりも累積の数字のほうが重い。人生も同じで、年齢は減価償却ではなく“累積利益”のようなものだと思う。
経験、失敗、成功、人との出会い。
すべてが積み上がって今の判断力を作っている。
若さは武器だが、積み重ねは信用になる。
51歳は「若くはないが、まだ動ける」。このポジションは意外と悪くないと思っている
責任は重くなるが、視界は広くなる
50代に入って明らかに変わったのは、背負うものの重さだ。
家族、仕事、スタッフ、顧問先。判断一つで誰かの未来が変わることもある。
だが同時に、視界は広くなった。
短期の利益だけでなく、5年後、10年後を見据えて考えられるようになった。
若い頃は「正しいかどうか」で動いていた。
今は「持続可能かどうか」で考える。
これは、年齢を重ねたからこそ持てる視点だと思う。
責任は増えたが、収入も増えた。悪くないと思っている。
残り時間を意識するからこそ、余白をつくる
51歳になると、自然と「残り時間」を意識する。
これはネガティブな話ではない。むしろ逆だ。
時間が有限だと分かると、無駄な消耗を減らしたくなる。
意味のない争い、不要な付き合い、気が乗らない挑戦。
代わりに、本当にやりたいことを選ぶようになる。
好きな仕事、心が動くプロジェクト、静かな時間。
人生は長さではなく、密度だ。
これからは“詰め込む”のではなく“整える”時間にしたい。
51歳。
完成にはほど遠いが、ようやく自分の輪郭がはっきりしてきた年齢でもある。
まだ伸びる。
まだ挑戦できる。
そして、少しだけ肩の力も抜けている。
悪くない。
さて、52歳までの一年、どう積み上げていこうか。
まだまだ楽しみな人生を過ごせそうな気がする、そんな51歳の朝