あの日のことは忘れない

今日は3月11日、震災から13年

毎年、3月11日は東日本大震災の話を書いています。

死ぬまであの日の光景は忘れないと思います。

当時、私は埼玉県さいたま市にある関東信越国税局に勤務しており、震災当日は在局しておりました。金曜日という事もあり17時には仕事を終え、安曇野に帰る予定だったかと思います。

国税局(31階建)の22階か23階で14時46分に激しい揺れを感じました。建物は当然耐震や免振設計がされているとはいえ震度7クラスの地震なので、建物そのものもかなり揺れました。また、建物の揺れが収まらないうちに余震もあり長い間建物が揺れていました。

国税局から見える、遠く離れた千葉のコンビナートが爆発炎上する瞬間も目にしました。

帰宅困難に。。。

国税局のエレベーターは全てストップし、眼下に見えるJRは全て止まったまま。この状況は17時を過ぎ帰宅時間になっても変わらず世に言う「帰宅困難者」になりました。また、私は国税局にいたので良い方で、出張先から戻れない職員が多数おり、新幹線の中で一夜を明かすような人もおりました。

レンタカーを手配する者、ビジネスホテルを予約する者など様々、歩いて帰れる人は歩いて帰るなど国税局内も混乱を極めていました。当時、私は新座市にある公務員官舎に住んでいましたが、国税局からは20㌔近くあり歩いて帰れる距離ではなく途方にくれていたのを今でも覚えています。

幸いなことに、国税局の近くに住む先輩が自家用車を出してくれて新座に住む私と同僚の女性を乗せて送ってくれることになり、普段の何倍も時間が掛かりましたが無事に帰宅でき布団で眠ることができました。

週が明けても混乱は続く

土曜日、日曜日を宿舎で過ごし月曜日から出勤となるのですが、JRを含め公共交通機関は混乱したまま、国税局に出勤するのに何時間もかかる状況で、それでも出勤してこいという上司を恨んだりしたものです。

その後の混乱は周知のとおり、計画停電があったり、さいたまスーパーアリーナで避難者の受け入れをしたり。また、税務調査中の法人も被害があり調査を中止したりと多くの影響がでました。

あれから13年

あれから13年。今年は能登半島で大きな地震がありました。改めて日本という国は地震が多い国なんだと再認識し、自宅、事務所を含め防災グッズを揃えはじめました。どこまで揃えれば安心できるのか。きりがない話になってしまいますが、万が一の備えておこうと思います。

比較的災害の少ない松本平ですが、実はフォッサマグナという大きな断層?の上にある、また、事務所のある地点から東に2~3㌔ほどのところに断層があることも分かっています。願わくば大きな地震がないことを祈るだけです。

【編集後記】

週末土曜日に中学3年生と⚽の試合をしてきました。12月は2-1で勝利、今回は4-1で勝利。中東の笛っぽい理不尽な判定もありましたが、勝つことできました。

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