あれから9年。
今日、3月11日は東北地方太平洋沖地震が発生した日です。
2011年3月11日(金)14時46分。
東北三陸沖の太平洋を震源としたマグニチュード9.0、最大震度7の地震でした。
多くの方が犠牲になり、また被害に遭いました。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
そして、未だに4万人近くの方が避難生活を強いられています。
1日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
当時、私は埼玉県さいたま市にある関東信越国税局に勤務しており、国税局の庁舎(31階建て)の24階か25階くらいにいました。
突然の大きな揺れ、そして免震構造なのか耐震構造なのかは分かりませんが、建物自体が大きく揺れ続いていました。
館内では「関東大震災震度7の地震でも耐えられる設計です」と放送がありましたが、すでにニュース速報では関東大震災を超える地震であると流れ、ひどく不安になったのを覚えています。
また、建物が高く眺望がいいため、遠く離れた千葉のコンビナートが爆発し炎があがる瞬間も見えました。
交通機関はマヒし、多くの方が帰宅困難者となりました。
地方に出張中の同僚も国税局の戻ることができなくなりました。
私も例外ではなく帰宅困難者となりました。
近くに住む先輩が車を出し何人かの職員を送ってくれましたが、通常の何倍も時間がかかりました。
単身赴任生活のため公務員宿舎で生活してましたが、長く疲れた1日でした。
決して忘れることのできない1日です。
食料が不足したり、物資が不足したり、燃料が不足したりもしました。
計画停電もあり、突然辺り一帯が暗闇に包まれる地区もありました。
震災から2ヶ月半後の5月28日に宮城県仙台市を訪れてもみました。
あれから9年です。
東日本大震災の際は多くの方々が助け合い協力しあい、少しづつ復興に向けて歩んできたはずです。
その姿は海外からも称賛されていました。
起きている原因は違うけれど、今の日本は非常事態です。
ひょっとしたら、もう全世界が非常事態なのかもしれない。
それぞれの立場で何ができるのかは違うと思うけれど、こんな時だから冷静に、デマに惑わされることなく行動しなければなりません。
10年後に「あれから10年。」と冷静にブログが書けたらいいな。
【編集後記】
昨日、国税局勤務時代の上司が急逝されたとの連絡がありました。53歳でした。
仕事面でいつも衝突してばかりでしたが、今となってはいい思い出です。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。