自転車操業する地方財政 ― 私たちの未来を誰が支えるのか
目次
止まらない支出、減らない財源
「自転車操業」とは、資金繰りが常に逼迫し、入ってくるお金をすぐに支払いに回さざるを得ない状態を指します。
最近、群馬県や静岡県が財源不足に陥っているという記事を目にしました。長野県の財政も例外ではなく、収入を上回る支出が計上されているとのこと。国も地方も、まるで止まれば倒れてしまう自転車のように、借入と支出を繰り返しながら走り続けています。
古くなるインフラ、新たに進む開発
少し話はそれますが、高度経済成長期に整備されたインフラ――特に水道や道路など――は、設置から半世紀近くが経ち、いまや補修の時期を迎えています。その一方で、私の住む地域では新たな高規格道路の建設も進行中です。限られた予算の中で、果たしてどこまで新規投資を続けるべきなのか。職員の人件費や資材価格が高騰する中、借入で補うのは一時しのぎにすぎません。いつかその返済の負担を背負うのは、私たち住民なのです。
今、変えなければ未来は守れない
人口減少が続く中で、税収の根本的な増加は見込めません。「あれもしたい、これもしたい」とTHE BLUE HEARTSの歌うのは個人の自由ですが、地方公共団体が同じ姿勢では未来を守れません。
責任を取るのは知事でも市長でもなく、私たち住民一人ひとりです。
私自身、公務員時代には「前年並み、もしくはそれ以上」の予算要求を当然のように行っていました。しかし今、税理士として民間の立場から財政を見ると、どこかで歯車を止めなければならないと痛感します。
「今、変えなければ手遅れになる」――地方財政の自転車操業を止めるブレーキを踏むのは、私たち自身なのかもしれません。