3.11 あれから10年 あの日の自分

「震災復興工事と一本松」の写真

2011年3月11日午後2時46分

2011年3月11日午後2時46分。

その時私は、関東信越国税局の25階で執務をしていました。

携帯に鳴り響く緊急地震速報、その直後の大きな揺れ。

30階ほどある建物は大きく軋み、今にも倒れてしまうのではないかと恐怖がありました。

地震そのものの揺れは暫くして止むのですが、建物自体の揺れは長い間続きました。

左右に揺れる「ギシッ、ギシッ」という音が今でも記憶に残っています。

建物の揺れが収まる前に、余震があり再び建物が揺れました。

TVから流れる津波の恐怖

階下に見るJRの電車が止まてっいる状況

関東平野のずっと遠くで、爆発のように燃え上がる炎

繋がらない携帯電話

当時、単身赴任をしていた私の安否を気遣うであろう家族。

何をして良いのか分からない自分。

交通機関が完全にマヒした首都圏で帰宅ができない状況に。

幸いなことに、近くに住む先輩が車を出してくれて、公務員官舎近くまで送ってくれました。

大渋滞もあり普段の倍以上の時間がかかり途中から徒歩で帰りましたが、何より布団で寝られホッとしました。

その後

税務調査は全てがストップしました。

関東信越国税局の隣あるさいたまスーパーアリーナには多くの被災者が避難してきました。

原発事故の影響で「計画停電」があり、街の一部が突然真っ暗になることもありました。

詳しい事は分かりませんが、関東信越国税局が停電になることもなく、また私が住む公務員官舎も計画停電になることはありませんでした。

公務員官舎については、おそらく元々が自衛隊駐屯地の敷地内に作られた物なので電源供給のラインが違ったのだと考えられます。

毎日を外食で済ませていたので食糧危機にはなりましたが、大きな影響はありませんでした。

時間を見つけて、5月頃1度だけ仙台に行きました。

仙台市内でも道路が割れているところなど、被害の大きさを感じ取ることができました。

あれから10年

あれから10年が経ちました。

TV当時の映像を見ると、改めて地震や津波の恐ろしさを再認識させられます。

幸いにも、私の住む安曇野市で大きな地震を経験したことはありません。

ただ、糸魚川静岡構造線フォッサマグナと呼ばれる(学問的詳しい内容はウィキペディアで)大きな断層みたいなところの上にあるので、決して地震と無縁の地ではありません。

東日本大震災から10年、子ども大きなったので家族で地震があった時の対応を考える必要があると考えています。

防災グッズ、電源、長引く避難生活など個人で対応できる準備が必要だと再認識しています。

まとめ

日本全国、どこで地震が起きてもおかしくない状況で、一人一人に何ができるか?

今日、10年目に改めて考えてみようと思います。

【編集後記】

携帯電話で震災当時の映像を撮影したのですが、どこにも保存されていないのが残念です。

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